鉄腕アトムが見た悪夢 |
1、心を持つロボットは制作可能か?
フィクションあるいは現実に製造されつつあるロボットと言うものを思い浮かべた時、その種
類は動かし方によって三種類に分けられそうである。一つは鉄人28号型の遠隔操縦ロボット、一つはガンダムやマジンガーZのような内部操縦型巨大ロボッ
ト、そして、最後の一つが、自分の判断で動ける自律思考型のロボットである。鉄腕アトムは、この三番めの分類のロボットにと該当する。
遠隔操縦や内部操縦型のロボットは現実世界でも実際に作られうるものだが、それでは、アトムのような心を持ったロボットは、将来的にも本当に製造が可能
なのだろうか。
その足がかりとして、近年のロボット工学では、さまざまな人工知能の概念が注目の的となりだしている。すなわち、ニューロコンピュータ、ファジー理論な
どなどである。従来の機械が完全な二元論によって制御されていたのに対して、曖昧さをもたせ、自分で学習しながら成長してゆく機能を持たせる事によって、
コンピュータに動物の知能的な要素を付加させようと言う試みだ。なるほど、そのへんが生き物の心と冷たい機械の知能の違いなのかもしれない。
人工知能が進化すれば、限りなく人間に近い思考パターンを駆使するロボットも製造は可能であろう。いや、現在だって、柔軟な思考を展開し、人間相手に人
間・動物同様の対応ができるロボットやコンピュータはすでに出回っているのだ。ロボットペットのAIBOなどは、その動物っぽさをわざと強調してみせたハ
シリとも言えよう。オセロやチェスなどの相手をしてくれるゲーム機だって、ランダムに攻撃方法を変えてみせれる事を考えると、十分に人間らしい思考を持ち
合わせていると呼べるのである。だから、こうした自主的な判断力に加えて、人間のように外界とやりとりできる機能を持たせれば、人間と同じ行動をできるロ
ボットは製造可能だという事になるだろう。
実は「人間のように外界とやりとりできる」と言う点でも、多くの機械は、すでにその課題をクリアしている。たとえば、さまざまな家電は、目的を達成した
り、エラーが発生すると、音を立てて持ち主にその旨を知らせてくれるが、その機能が十分に「外界とのやりとり」の基礎なのである。我々人間や動物だって、
痛ければ、声を出したり、暴れたりして、その痛いと言う気持ちを外界に訴えるだろう。やってる事は全く機械と同じなのだ。よって、機械の方の意志表明方法
を人間と同じものに変えてやれば、その機械はより人間らしく変わる事になる。すなわち、電子音の代わりに音声を採用し、「出来ました」「私は壊れそうで
す」などと言う言葉でメッセージを伝えれるようにすればいいのだ。そして、この程度の改善ならば、すでにあちこちで使用され始めているのである。
この「自主的な判断力」と「人間的な交信手段」という、二つの要素を基盤にして、精巧なロボットを作ってゆけば、やがては人間そっくりのアンドロイドに
もたどり着くであろう。
もちろん、それでも、まだ問題は残っている。たとえば、せっかく自主的な判断ができても、自分から何かをしようと言う目的意識までは生まれてはこない。
そもそも、人間(生物)はなぜ生きていて、生き続けたいと考えるのであろう?死(タナトス)を恐れる本能ゆえか?それでは、ロボットに自己保存プログラム
を組み込めば、人間みたいに自分から色んな事に挑戦するような存在に早変わりするのかと言うと、恐らく、自己保存プログラムだけではそこまでの積極的なバ
イタリティは期待できそうにない。人間が「生きる」事に求めている価値は、ひと言で語れてしまうほど単純なものではないのである。
さらに、もっと大きな人間(動物)と機械の間の隔たりがある事を忘れてはいけない。仮に「人間そっくりに見えるロボット」が作れたとしても、「人間のよ
うな心を持ったロボット」ではないと言う事である。動物の心とは「何かを感じる事ができる意識」の方であって、「複雑に思考したり、分析する能力」が心そ
のものなのではないと言う事だ。これまで、人間的な知能を機械で作る話をいろいろと紹介してきたが、それらはあくまで頭脳の能力を模写する方法の事を述べ
ていたのであり、生物の持つ意識なるものは機械科学の知識だけでは、とても作れないものなのである。
電子頭脳も高度化すれば、複雑思考が意識を持つようになるのではないかと考えている人もいるかもしれないが、それはとんでもない話だ。もし、そんな事が
事実だとすれば、我々の目の前のパソコンや電子制御の家電だって、非常に低レベルな意識を持っているかもしれないと言う話になってくる。こんな発想を認め
てしまえば、つくも神的に、あらゆる物質に生命(意識)が宿っていてもおかしくないんじゃないかという、壮大な哲学になりかねないのだ。
こんなバカげた着想はいったん置いといて、機械や道具などとは違い、生物に分類される存在には、明らかに生命と呼ばれる構成要素が備わっている。この生
命こそが、心の源なのであって、意識を作り上げている本質なのだ。植物やアメーバのような下等動物であっても、生命がある以上、おそらくは、何らかの意識
を持っているはずではないかと憶測できるのである。
ここに、生物と機械の大きな違いが浮き彫りになったようだ。人間の科学では、機械をゼロから作る事はできても、生物をゼロから作り出す事はできない。我
々が作るクローンとか品種改良とかは、あくまで「最初から生命ある要素」を改造しているだけで、人類自身の力ではいまだに「生命」そのものを作ってみせる
事はできないのだ。あるいは、これだけは永遠に不可能な、神だけに許された究極の技術なのかもしれない。
どこまでも、どこまでも突き進むロボット工学の進歩は、やがては、アトムのような「人間そっくりに立ち回るロボット」だって作り出す事であろう。そのロ
ボットは、人間のように自分の目的意識で行動し、時には、感情的な方法で自分の気持ちを表現したりもする。ここまで来たら、はたから見れば、人間と同一に
しか思えないはずであろう。しかし、それでも、このロボットにも「生物のような意識」は不在しているのだ。あくまで、「複雑に思考する能力」が人間らしく
見えているだけなのである。
マンガの中に出てきたアトムは、はたして、何を思い続けていたのであろうか。少なくても、現実世界では「本当に心を持ったロボット」は永遠に作られない
のである。
2、7大ロボットは本当に世界最強か?
プルートウ、ボラーが出てくる「史上最大のロボット」のエピソードには、アトムを含む世界
最強7大ロボットと言うのが登場します。なぜ、この7体が世界最強なのかは、たびたび、アトム研究でも話題にされているのですが、ここでも、私なりの見解
を述べておく事にしましょう。
さて、選ばれし7体は、スイスのモンブラン、日本のアトム、スコットランドのノース2号、トルコのブランドー、ドイツのゲジヒト、ギリシアのヘラクレ
ス、オーストラリアのエプシロンの順番となります。アトム以外のキャラは、本エピソード初登場の者ばかりで、本エピソードのみで悲しく散ってゆきます。
なぜ、本エピソードのみ?あるいは、他エピソードの強豪ロボットが再登場しなかったの?なんて疑問が真っ先に浮かびそうなところですが、「1話完結形式
の都合」なんてマンガ的な事情は置いといて、そもそも、他エピソードに登場した強豪ロボットと言うのも、ほとんどはそのエピソード内でスクラップになって
いるのであります。「史上最大のロボット」以降のエピソードにも多数の強豪ロボットは現われましたが、「史上最大のロボット」事件以降に作られた、あるい
は、以降に頭角を現したロボットである可能性もありますし、さらに、プルートウの持ち主であるサルタンは、倒す対象を7体に限定した為、他の優秀な(のち
のエピソードに出てくる)ロボットたちは選考から漏れてしまったと言う事なのかもしれません。
それでは、どうして、この7体が選ばれたのかと言う考察に移ってゆく事にしましょう。
標的の一人である主人公のアトムは10万馬力と言う桁外れのパワーの持ち主であり、実は、プルートウの最初の攻撃対象になったモンブランもプルートウの
情報では10万馬力と見なされていました。(本当は13万5千馬力)その後、登場するヘラクレスは40万馬力、エプシロンに至っては光子エネルギーを導入
した無限のパワーの持ち主だったと推察されますので、選ばれた7体は最低でも10万馬力以上のロボットばかりだったのではないかと考えられる訳です。なお
かつ、プルートウはパワーの低いロボットから順に倒していったと言う事なのでしょう。
もっとも、アトムの妹のウランも10万馬力でしたので、倒すにふさわしいロボットの基準として、各国の著名ロボットである事、アトムの七つの力のような
特殊機能を備えている事なども重視されたのではないかと思われます。有名ロボット、あるいは優秀ロボットを倒してみせれば、マスコミにも勝者である事を明
確に騒ぎ立ててもらえると言うオマケが付くからです。
あちこちで通り魔のようにロボットを壊し回るプルートウに、アトムが一瞬、恐怖を抱く場面もありました。それは、まさに人間が人殺しに感じる恐怖です。
しかし、よくよく考えますと、アトムの方が、すでにあちこちで悪いロボットをさんざん壊しまくっている訳で、「ロボット殺しの怖いヤツ」と言う点では、ア
トムの方がはるかに上だったのかもしれません。
3、ロボットが目指す未来
「鉄腕アトム」に限らず、いくつものSF作品で「人間とロボットが共存する未来社会」とい
うものが描かれている。そこでは、自律思考型のロボットたちが、人間たちの社会に混ざって、多少は人間以下の差別・区別を受けながらも、人間と同じような
生活をして暮らしているのだ。
しかし、今後、ロボットが極限進化して、コストダウンによって大量生産され、文明社会にあふれ返ったとしても、そのような人間とロボットが対等に暮らす
社会が現実化するものなのだろうか。
人間とロボットの共存社会を思い浮かべる作家たちと言うのは、恐らく、そのイメージの元ネタとして、ロボットにかつての人間の奴隷や差別民族などをダブ
らせて、そのような新社会の到来は歴史的必然であろうと憶測して、提唱していたのかもしれない。
しかし、同じ抑圧された存在であっても、人間の奴隷とロボットの召使いでは、本質的な部分で異なっているのだ。人間はそもそもが奴隷となってはいけない
存在だし、他方、ロボットと言うものは、元より人間の奴隷になる為に作られる存在なのである。だから、ロボットにも人間のような自由を与えるべきだと考え
る方がナンセンスなのだ。家電や乗り物を人間の道具として用いず、そこらに放置しておこうと言ってるようなものなのである。ほんとに物を愛する人間なら
ば、それらの物を大切に正しく使ってやる事こそが、それらの物への最高の愛情表現だと言う事が分かっているはずであろう。
だから、ロボットにしても、それぞれの使用目的に従って、正しく使役してあげる事こそが人間としての真心ある接し方なのであり、いくらロボットが極度に
精密になって、人間のように思考し、動けるようになったからと言っても、人間と同じように扱ったりするのは非常に愚かしい発想なのである。そう言う意味
で、「鉄腕アトム」の物語は、とても考えさせられる内容であり、そもそも、アトムとは「死んだ息子の代用」として作られたロボットだったのだ。ロボット工
学の最高水準で作られた精巧なアトムならば、確かに人間のように振る舞う事も可能だったが、その製造理由が本来のロボット向きの目的じゃなかった為、任務
を達成しきれない事にアトム自身も悩む事になるし、持ち主である天馬博士の方も十分な役割を果たしてくれないアトムに苛立ちを覚えだすようになる。そのよ
うな悲劇から「鉄腕アトム」というロボットマンガは出発する事になるのだ。
さて、アトムは、科学省長官(天馬博士)と言う権力者が作った道楽用ロボットだったので、「死んだ息子の代用」などというトンでもない使用方法を与えら
れ、その天馬博士にポイ捨てされたあとは、新しい科学省長官(お茶の水博士)に引き取られ、そのまま、「人間のような扱われ方をする」と言う任務の続行を
許され、ついには家族を作ってもらったり、人間と一緒の学校に行く事まで許されたとしても、まぁ、ありえない話でもないだろう。
しかし、特別扱いのアトムとは違う、ごく普通のロボットたちの場合だと、はたして、どうなのであろうか。「鉄腕アトム」の世界では、アトム以外のロボッ
トたちも、かなりのパーセンテージで家族を持ち、自立して自分の意志で働いている事になっている。だが、そのような生活が一般ロボットにも普及するなどと
言う事は、社会的可能性としてはまずあり得ない話なのだ。
と言うのも、ロボットは、作ってもらって、はじめて、この世に誕生する事になる。生まれながら、彼は作ってくれた人間の奴隷なのであり、自立させてもら
えるなんて事はまず考えられないからだ。「捨てられる」と言う形でのみ自立への可能性もあるが、捨てられたロボットは自立できる前にきっと廃棄処分されて
しまうであろう。
以上のような簡単な理由から、一般ロボットが自立して自分の意志で働けるようになると言う展開はほとんど望めないのである。ごく稀に、アトムのような道
楽ロボットが作られて、人間のような生活を許される事もあるかもしれないが、それはあくまで少数であり、人間に対抗しうるほど社会に蔓延できるとは思えな
い。何よりも、社会の構成員の中心は、依然として人間なのであり、その人間たちがロボットたちの自由化、権利の主張など望むはずがない以上、ロボットの人
間との平等化が進んだりする訳がないのである。
では、ロボットは永遠に人間の奴隷のままで終わってしまうのであろうか。
いや、ここに、人間とロボットの関係の違う未来図も展望する事ができる。
残念ながら、人類は滅び去ってゆく種族かもしれないのだ。人類の人口が加速的に減ってゆき、やがては完全に死滅した時、未来の地球に残るのはロボットた
ちなのかもしれない。
人数が激減した人類は、それでも文明社会を続行させる為、より多くのロボットを各所に配置して、欠けた労働力を必死に補ってゆく事になるであろう。しか
し、勘違いしてはいけない。どんなに社会内でのロボットの絶対数が増えて、主人である人間の数を上回ったとしても、どこまで進もうが、ロボットが人間に奉
仕する存在として、それ以上のポジションを獲得できない事は疑いようのない話なのである。人間の数が減り過ぎて、ついには、ロボット自身が他のロボットの
管理・製造や都市の整備・持続、国家の運営までもを引き受けるようになってしまったとしてもだ。それでも、ロボットはあくまで人間に尽くす為に活動する道
具なのであり、彼らは人間の生活の事だけを最終的な目的と考えて、全体の行動を展開してゆくのである。
そうしたロボットたちの努力の甲斐もなく、いつしか、人類は完全に滅亡してゆく。残されるのは、人間に奉仕する事だけしか知らないロボットたちと、そん
な彼らであふれ返った無人国家、無人都市だけである。目的が居なくなってしまった世界、都市の中で、はたして、ロボットたちはどんな新しい活動を始めるの
だろうか。ロボットたちには、あらたに「自分たちの為に」繁栄しようなどと言う新目的を作り出す発想の転換は持ち合わせていない。自分たちの絶滅を前にし
た人類が、残されるロボットたちの将来までもを思って、わざわざ、そんな事までプログラミングしておいてくれたりするはずがないからだ。よって、ロボット
たちは、ついに人間と言う目的が失われてしまったとしても、なおも人間の為の国家、都市の存続を死守してゆこうとする事であろう。ロボットたちが築く、人
間不在の人間が住める都市が未来の世界には広がる事になるのかもしれない。
それは、はたして、どれだけ奇妙な新社会なのであろうか。このへんをフィクションの視線から壮大なスケールで描いてみようと考えたのが、私のオリジナル
作「ド
ンキーウェイン」なのである。