白土三平のびっくり忍法絵巻

忍術解体新書「サスケ」はこう読め!  

 忍者と言えば「分身の術」と言うほど、分身の術が有名である。バルタン星人なんて分身しか使えなくても宇宙忍者と呼ばれてしまうほどである。しかし、実際のところ、過去に実在した忍者がそれほど頻繁に分身の術を使っていたのかどうかは、はなはだ疑問である。分身の術なるものが本当に存在したのかどうかすら、怪しく感じられる。
 そのような謎の忍法が、今日、これほどまでにも有名になってしまったのは、やはり、白土三平の忍者マンガの影響が強かったからだと言えよう。しかし、白土三平は、自分のマンガの中で、分身の術のやり方をこう説明しているのだ。高速で動けば、残像が残る。その残像を利用して、一人なのに、あたかも複数の自分がいるように見せかけるのが分身の術なのだ、と。
 そもそも、残像が残るほどの猛スピードで生身の人間が動けるものなのであろうか。それほどの凄い体術が存在するならば、現在の格闘技にも受け継がれていてもよさそうなものである。もちろん、こんな技術は発想だけの空論だから、現実にはありえないし、マンガの世界だけの出来事なのだが、白土マンガの解説には不思議な科学的説得力があり、なんとなく、本物の忍者もこのような忍法を使っていたのではないかと読者に思い込ませてしまう魔力に溢れているのである。
 大体、白土マンガに出てくる忍法や忍術道具のたぐいは、どれもこれもが同じように、実在したのかどうか胡散臭いものばかりである。しかし、白土三平の描く劇画のリアルさと、丁寧な科学的解説は、読者の疑いを寄せ付けない、絶対的な現実性をもたらし、白土マンガの中の忍者の世界を、あたかも事実であるかのように昇華してみせるのである。

 サスケは、名前から分かるように、猿飛佐助と言う有名な忍者をモデルにしたキャラクターである。しかし、白土マンガの中では、それだけではおさまらない。白土三平は、さらに、猿飛の術を使える忍者を沢山の一族と見なし、猿飛佐助と言う個人の忍者の存在を否定してしまうのだ。歴史に対する大胆な解釈であるが、「サスケ」を読んでいると、それが何だか真相のように思えてくるから、白土三平の筆力はさすがだとしか言いようがない。
 読者対象を子供に定めた「サスケ」には、まるで白土忍者劇画の子供向け忍術読本のように、さまざまな忍法や忍者用具が登場する。最初に紹介した分身の術も、主に「サスケ」を通して世間に知れ渡った忍法だと言えそうである。さらに、分身の術は、顔や体形が同じ双子や3つ子が同時に行なえば、その分身数がもっと増える事になる。これを影分身と言う。サスケには、なんと、4つ子のいとこがいて、顔形が同じ彼らと共に分身の術を行なうと、20人にも分身できてしまうのだ。
 白土マンガに出てくる忍法のトリックの種明かしとして、この双子や3つ子などが利用されているケースは非常に多い。「サスケ」だけでも、まずはサスケが4人の影武者のいとこを持っている訳だし(このトリックの前提として、サスケの母といとこ達の母も実は双子である)、宿敵の九鬼一族の兄弟も4つ子か5つ子だったのかもしれない。(単に歳の違う兄弟が、わざと同じ風采に合わせていただけなのかもしれないが)九鬼一族より先に登場した糸瓜狂之助と斬死郎の兄弟もそっくりな顔をしており、単に兄弟だから顔が似てただけなのかもしれないが、あまり詮索しないで読んだ限りでは、この糸瓜兄弟は双子だったのだと思わせる話の構成になっている。実に、サスケの周りには、双子や4つ子たちがオンパレードであり、現実的に考えれば、こうも多数の双生児たちが一堂に会するなどという偶然は絶対に起きえないはずであろう。

 この糸瓜兄弟とサスケ親子のエスカレートしてゆく戦いぶりもまた、「サスケ」の序盤の見どころの一つと言える。剣豪である糸瓜狂之助には手裏剣がいっさい通用しない。全て刀で弾き返してしまうのだ。そこで、サスケの父・大猿が用いたのが風車と言う巨大手裏剣である。この大きさには歯が立たず、狂之助も刀を弾き飛ばされて、破れさる。ところが、狂之助の弟の斬死郎は、剣士の兄とは異なり忍者なのか、微塵と言う変わった飛び道具を使用する。この微塵の前には、さしもの風車も叩き落とされてしまうのだ。この強敵の斬死郎を倒す為に、サスケは円月剣という手裏剣を開発する。これは、一言で説明すれば、ブーメランの手裏剣だ。
 その後も、「サスケ」内に出てくる忍者たちの用いる特殊手裏剣は、どんどんエスカレートしてゆく事になる。幻術使いの百鬼示現斉は殺人ゴマを武器にするし、トバリの半助は千本(針)を手裏剣代わりに愛用する。説明によると、千本の方ががさばらない上、手裏剣よりも深く体に食い込む為、必殺の武器になると言うのだ。四貫目が用いるカブトワリもドングリ状の彼専用の必殺手裏剣だし、シコロに至っては、中に火薬が詰まってて、敵に当たると爆発するという、まるで手榴弾みたいな、雷発手裏剣を使いこなしている。他にも、金井半兵衛が持っている不動輪(他の白土マンガでは「死巻」の名前で呼ばれている)や百法筒など、「サスケ」世界に出てくる超兵器の変形発展はとどまるところを知らない。しかし、これらの強力な武器の数々が本当にあったものなのかどうかは、他の歴史的文献からはまるで調べだす事ができない次第なのである。

 「サスケ」には出てこないが、白土マンガで度々見かける特殊能力の一つとして他心通がある。これは、てっとり早い話が、読心テレパシーの事で、もはや忍術ですらなく、神通力のたぐいである。白土マンガに出てくる忍者の中には、厳しい修業や奇跡のもとに、こんな凄い超能力まで使えてしまう怪物たちも存在するのだ。しかし、こんなスーパー忍法を操る連中ですら、催眠術によって打ち破られてゆく。連作ものの主人公だった大摩のガロも、抜け忍カムイの命を狙った他心通使いの刺客も、無敵の彼らを最後に葬ったのは催眠術で心が読めない状態になっていた相手だった。催眠術もまた、白土忍術マンガにはよく出てくる小道具の一つである。「サスケ」内でも、トバリの半助が用いる影ヌイの術のトリックの正体は催眠術だったし、奇怪な現象は何でもかんでも催眠術の幻覚のせいにして、強引に説明しているような傾向もなくはない。「ワタリ」に出てきた恐るべき謎の忍者「ゼロの忍者」もまた、催眠術によって作られた、自己を持たない忍者であった。
 もともと、催眠現象と言うものは、19世紀にイギリスではじめて科学的に体系化されたものであり、それ以前は、催眠の技術はまだ確立したものではなかった。白土マンガに限らず、横山光輝や石ノ森章太郎などのマンガに出てくる忍者たちも頻繁に催眠術を駆使している訳なのだが、彼らは自分たちが用いる幻覚術が催眠術と呼ばれるものだったとは、恐らく知らなかったはずであろう。しかし、だからと言って、現実の忍者は催眠術なぞ本当は使えなかったのではないかと決め付けてしまうのは、いささか結論が早すぎるとも言うものだ。信用できる歴史書の中にも、すご腕の幻術使いの名前はいくつも残っており、彼らの術の正体はやはり催眠術だったであろうと考えられるからである。

 白土マンガによく出てくる特殊能力としては、もう一つ、特異体質というものもある。皮膚が角質化して、刀も槍も受け付けない程度の特異体質者ならば、まだ序の口の方で、尻尾があったり、第三の手を持っていたり、あげくは、亀のように首の中に頭をめり込ませてしまえる特異体質者までもが登場する。ここまで来ると、もはや、人間外生物や改造人間みたいなものである。それでも、白土三平は「特異体質」という便利な言葉のもとに、自分のマンガをぎりぎり現実世界の物語にと引き留めておくのである。「サスケ」にも、角質化した皮膚を持つ不死身のシコロが登場するが、これはまだおとなしい方だ。「忍者武芸帳」の主人公・影丸の子分たちはいずれも選りすぐりの特異体質者ばかりだった。白土マンガは、全てを科学的に説明しようと試みた結果、まさにフリークスが至るところで徘徊しているような怪奇ワールドとなってしまったのである。

 ここらで本来の忍者の姿について考えてみる事にしたい。忍者とは、その名のとおり「忍ぶ者」、密偵や暗殺などが使命の工作員の事である。そうした目的の方が優先される以上は、直接的な戦闘は二の次だったであろう。もし戦闘に巻き込まれるような事態になっても、まずは使命を達成する事を重要とし、戦うよりは、ひたすら逃げ切る事を考えたに違いあるまい。だから、基本的な忍者は、素早く移動する術を学び、木や壁に擬態したり、土や水の中に身を潜めたり、あるいは、変装するなどの、主に逃走用の忍術を発展させたのだ。もちろん、長い忍者の歴史においては、忍者同士が戦いあうような状況もあったはずであろう。しかし、それは、あくまでオプションみたいなものであり、忍者にとってのメインの活動ではなかったはずである。だから、戦闘的な忍法はあまり必要ではなかったのではないかと思われるし、ましてや個々の忍者が独自の殺人忍法を編み出す必要性などはあったのであろうか。白土三平らの近代のマンガ家たちは、忍者という魅力ある歴史上の職業をドラマチックに脚色し、忍者同士の血で血を洗う闘争劇を想像したが、それは、やはりマンガとか講談の中だけの話だったかもしれないのである。

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